想いの強さ≠時間の共有

大学時代の友人からすんごく久しぶりにメールが届く。便りがないのは元気な証拠、というだけあって、変わらず元気そうだ。彼は卒業後大学院に進み、修士を終えて浪人して医学部に入り、現在3年生。当初「若いモンにまじっておっさんは記憶力の低下が著しくてさぁ」とボヤいていたが、最近じゃすっかり「慣れた。飽きた。刺激がほしい」と贅沢なことを抜かす始末。やれやれ。で、メールの内容は、半同居中の彼女に殴られ当たり所が悪かったら死ぬところだった、というもの。*1バイトと授業に忙しい彼が比較的時間の自由な彼女の心象にグサッとひとこと刺してしまったよう。そしてクリスタルの置物*2で彼を殴りつけ、とっさに身の危険を感じた彼が腕時計でさえぎり、オメガのスピードマスターが逝きますた、とオチまであったが。行間に「でもオレって愛されてるでしょ」っぽいまんざらでもない感じがぷんぷんにおい、なんだかアホくさくなったのだが。想いの強さをどう自覚するかは、たぶん相手の魅力だけじゃなくて、自分の時間や心の隙間をどれだけ埋めたいかという本人の事情によるのかもしれない。忙しい人の「好き」と比較的ヒマな人の「好き」という想いにそれほど差はないんじゃねーかなぁ。最終的には同じことかもよ、と思うのだが

*1:充分刺激的な日々じゃないか

*2:なんでそんなモンがあるか謎だ